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父が残してくれた無煙ロースター7台
今日は父の命日。

父が他界したのはお店を開店するちょうど一年前だった。

夫はその頃、単身赴任で東京にいて、家には子供達と私の3人。
父は、実家のある四国松山で治療を受けていたが、久留米にいい先生がいるとの事で私の家に拠点をおいて、入退院を繰り返すことになった。

大野城の自宅から久留米の病院まで車で片道40分。入院の間は毎日通い、父のお世話をした。

辛い日々だったが最後まで父の近くで過ごせた時間が今では私の宝物になっている。

何か自分に出来る事がないか考えに考え、あらゆる情報を集め、いいといわれることはかたっぱしからやってみた。

もう治療は無理と先生に宣告された時も、父のいないところで泣き崩れるだけ泣き崩れた後、それでもまだ口から少しだけど物が食べれるんだと思い、父にその間作ってあげていたように、無農薬のお米を体にいいと言われる渓谷の湧水で炊き、無農薬の黒ごまをまぶしたおにぎりを作り、体にやさしいおかずを作り病院へ持っていった。

なぜか父はいつもおでんのこんにゃくを食べたがったので、よくおでんのこんにゃくも持っていったなぁ。

今では家でおでんを作ると、時々父の写真の前にこんにゃくをお供えする。

おでんのこんにゃくを見るといつも父の事を思い出す。父との思い出になった。

久留米の病院に入院したての頃、父から電話がっかかってきて、「生卵でたまごかけごはんがたべたくての~」と言ってきた時があった。
その日は大雨で、「今日は雨がひどいけん行けんかもよ~」と言ったが、父の言葉が頭から離れない・・・
原田のたまごを買って病院へ行った。
父は「この大雨の中、たまご1個のためにきたんか!」と驚きながらも、喜んで食べてくれた。


10月に病院で迎えた最後の誕生日。

子供たちが学校から帰ってきて、夜になったけど3人で病院へ行った。

赤飯とわかめスープとおかずを少しとお花と小さなケーキ。

病院へ行くとなぜかその日だけは父は自分でお風呂も入って、髪もきれいに整え顔色がとてもよかった。

何日か前に持って行ってあげていたラベンダーの入浴剤を入れたらしく、とても気持ちが良かったそうだ。

子供たちとハッピーバースデーの歌を歌い、ケーキのろうそくを消してお祝いをした。

父はやさしい笑顔で「こんなに心のこもった誕生日があるか・・・こんなこころのこもった・・・」と何度も何度も喜んでくれた。
これも又、大切な思い出。

とてもおしゃれで、身だしなみに気を使う父だったので、入院中も髪のセットが決まらないといっては毛糸の帽子をかぶったり、洗髪も他の患者さんは看護師さんに洗ってもらってるのに、私に洗ってほしいと言った。それは、ブローとセットまでしてくれということだった。

そんな父が体が思うようにならず下着やパジャマをよごすようになってしまった。
娘にその世話をさすのがたまらなく辛かったらしい。
私は、そんな父の姿をみながら、なんでもないかのようにさらっと交わしたが、家に帰ってお風呂場で父の服を洗濯しながら「ずっとずっと洗うからお願いだから一日も長く生きてこうして私に洗濯させて・・・」1人泣きじゃくりながら洗濯をした。


久留米で最後になった診察の日。

父はその頃、肝性脳症もでていていろんな事がわからなくなっていた。

帰り際、病院の待合室で、父がぼそぼそっと言った言葉がいまでも耳にこびりついている。

「寝ようと思って和室に入ったら、部屋がぬく~くしてあっての~、
布団に入ったら布団もぬく~くしてあっての~
あったか~くしてくれて気持ちがほ~っとしたわい・・・」

涙が止まらなかった。


いろんな事がわからなくなっているのに私が父に尽くした気持ちをしっかりわかってくれているんだと思うと
たまらなかった・・・


父の最後は驚くほど気丈にみんなに言葉を残した。
息をひきとったあと不思議なことがおこった。

息を吹き返すかのようにもう一度戻ってきて父は2度何か言った。
声はでてなかったが、振り絞って話した父の口の動きは「ありがとう・・・ありがとう・・・」だった。

父が他界した後、数ヶ月たって今のお店を出す事が決まった。

父は生前、焼肉を焼く「煙のでない機械、無煙ロースター」を作って販売していた。
実家の焼肉店用に開発したものが、性能が良く、松山の大部分の焼肉店から依頼がきた。
県外からも注文がきて、広島や、島根のほうにも機械を販売するようになった。


それが、自分が焼肉店を出すのに、父の作ったロースターを入れられないのかと思うと辛かった。

以前父の手伝いをしていた弟が父の作業場に行ってみると、不思議な事にうちの店の台数とちょうど同じ7台分の無煙ロースターの在庫があったのだ。
偶然なのか?先の事を見越して、父が残して行っってくれたように思えた。

それは弟の手によって焼肉とコリアンキッチンぽじゃぎの立派な焼肉無煙ロースターとして設置された。

父がこの無煙ロースターを開発するまでの過程を私は見てきた。
煙も吸ってくれながら、お肉がおいしく焼けるためにどのような過程をへてきたのか・・・
次の機会に書いてみようと思う・・・



福岡県太宰府市大佐野 焼肉とコリアンキッチンぽじゃぎ
ホームページ http://www.yakiniku-pojagi.com







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tag : 無煙ロースター

プロフィール

ぽじゃぎママ

Author:ぽじゃぎママ
私の実母は四国松山で、主人の実母も北九州小倉で、どちらも40年近く焼肉店を営んできました。
そんな母たちの味を受け継ぎ、太宰府にお店を出して6年がたちました。母たちのお店のようにいつまでもみなさまに愛され続けるお店にしたいと思っています・・・
手作りサムゲタンや自家製キムチ等のお持帰りもできます。

(お店のhpはこちらのバナーから↓)


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